共同体感覚の育成 3 ~褒める・叱るという行為と、勇気づけという行為の違い~
本シリーズは、主にアドラー心理学・共同体感覚に関する文献を要約したものである。
腹落ちした内容のみをまとめているために内容が偏っていること、また、補足的に私個人の解釈が入っていることにご留意いただきたい。
前回に引き続き、「子どもの教育」という視点から、その内容が共同体感覚を育成・強化していくのにどう効果的であるのかを見ていく。
勇気づけ
子どもたちは、生きていくにあたって様々な人生の課題に直面する。
勇気づけとは、子どもが人生の課題を解決できるという自信を持てるように援助することである。
子どもが人生の課題を回避しようとしているとき
- 課題そのものが困難であるからというよりも、自分に価値があると思えないから回避しようとしている。
- 自分に価値がないから、課題に直面する勇気が持てないのである。
- アドラーは、「私は自分に価値があると思うときにだけ、勇気が持てる」、さらに、「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益であるときである」と言っている。
- 自分のことが好きだと思えるのは、自分が無価値ではなく、たしかに誰かに役立っていると思え、貢献感を持てる時なのである。
ここで重要なのは、承認欲求の代わりに、共同体(社会)への「貢献感」を持てるように子どもを援助していくことである。
援助とは、子どもの課題を肩代わりしてあげることではない。
それが誰の課題であるかは、最終的に誰が責任を引き受けなければならないかを考えればわかる。
褒めたり叱ったりして、子どもに課題に取り組ませようと考えがちであるが、褒める・叱るというのは勇気づけるということではない。
勇気づけるというのは、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を促進するような働きかけのことである。
共同体感覚の育成 2 ~共同体感覚を持てるようになるための重要な要素~
一方、「褒める・叱る」という行為は、他者との比較を背景にしたもの、結果にのみ焦点を当てたものであり、これは好ましくない関わり方である。
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褒める行為
- 子どもは、自分を褒める人のことを、褒められたその時は自分の仲間だと感じるかもしれない。
- しかし、期待されるような良い結果が得られなければ褒められることはない。
- 子どもは、褒めてくれなくなった相手のことを自分の仲間だとは感じられなくなる。なぜなら、褒められることが仲間の条件だからである。
- それだけでなく、失敗したときには「自分には能力がない」と思うようになる。
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叱る行為
- 叱るという行為では、子どもは自分自身が価値のある存在だと認識することができない。
- 自分には価値がないと考えてしまったら、本人の課題に取り組む意味も見いだせない。
- 仮に、叱ることで子どもが課題に取り組んだとしても、それが自発的なものでない以上、いつでも簡単にもとに戻ってしまう。
- 叱ることには怒りの感情が伴う。ここで言う「叱る」とは、「怒る」という意味である。
- 子どもは、怒りをぶつけてくる相手を、自分の仲間だとは思うことはできない。
- 失敗した時に叱られれば、子どもは失敗することを恐れるようになる。また、自分に能力があるとは思えなくなってしまう。
- そうして、課題に取り組むことすらしなくなるばかりか、積極的に自分から何かしようとはしなくなってしまう。自分のことだけを考え、他者に貢献しようとも思えなくなる。
「褒める・叱る」という行為は、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を脅かすものである。
親・教師は、これらをひとつでも脅かしてはならない。
他者との比較を背景にした評価、結果のみに焦点を当てた評価、つまり、「褒める・叱る」という方法ではなく、喜びを共有することや、子どもに対して自分の気持ちを伝えることが勇気づけとなる。
見逃しがちな善行に対して「ありがとう」や「嬉しい」、「助かった」というような言葉をかけることから勇気づけは始まる。
課題の分類
前項で、子どもへの援助について下記のように触れた。
「援助とは、子どもの課題を肩代わりしてあげることではない」
「それが誰の課題であるかは、最終的に誰が責任を引き受けなければならないかを考えればわかる」
アドラー心理学の特徴のひとつに「課題の分類」という考え方がある。
これによれば、私達は自分の課題と他人の課題を分離していく必要があり、およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込む事、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされるという。
それが誰の課題なのかというのは、言い換えれば、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰なのかということなのである。
人間関係を「縦の関係」ではなく「横の関係」と見る
アドラーによれば、親や教師は、子供よりも大きい力や広い経験があるからといって、子供に命令できると思ってはいけない。彼らは基本的に、子どもを自分と対等の存在だとみなすべきである。
つねに縦の関係に置かれると、前述のように子どもは従属的になり、勇気が挫かれ、自己決定できなくなってしまう。
「褒める・叱る」という態度は、結局、相手が子どもであれ、生徒であれ、職場の部下であれ、相手を目下とみなし、縦の関係をそこで形成することになる。
「褒めるという行為は、『能力がある人が、能力のない人に下す評価』であり、その目的は『操作』である」と言われる。
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Series:
共同体感覚の育成 1 ~優越性の追求と共同体感覚の関係~
共同体感覚の育成 2 ~共同体感覚を持てるようになるための重要な要素~
共同体感覚の育成 3 ~褒める・叱るという行為と、勇気づけという行為の違い~
共同体感覚の育成 4 ~所属欲求と承認欲求~