共同体感覚の育成 1 ~優越性の追求と共同体感覚の関係~
本シリーズは、主にアドラー心理学・共同体感覚に関する文献を要約したものである。
腹落ちした内容のみをまとめているために内容が偏っていること、また、補足的に私個人の解釈が入っていることにご留意いただきたい。
アドラー心理学と共同体感覚
心理学者のアルフレッド・アドラーによれば、人間の悩みのすべては対人関係の悩みである。
- 社会というのは、間接的にも、直接的にも、対人関係において構成される。
- 対人関係と幸福は表裏一体の関係にある。
- この社会で繰り返される対人関係の問題を解決できなければ、幸福になる可能性を低下させる。
アドラー心理学の要点は、共同体感覚という概念である。
共同体感覚とは、「家庭、地域、職場などの共同体の中で人と繋がっているんだ」という感覚のことであるが、これは「縦の関係」と「横の関係」の2種類に分かれる。
アドラー心理学における共同体感覚とは後者のことである。
縦の関係として共同体感覚を捉えた場合、その共同体には上下関係が存在し、その関係は承認欲求によって支配される。
一方、横の関係として捉える共同体感覚とは、相互承認によってそれぞれが自立し、その上で他者と調和・共生しているという感覚である。
そして、この横の関係としての共同体感覚の欠如、逆に言えば縦の関係・承認欲求の支配が、多くの人が感じているであろう社会での「生きづらさ」の要因のひとつだと考えられる。
共同体感覚について
人間は共同体において生存する動物である。
また、共同体感覚とは思考ではなく、人間にとって根源的な感覚である。
- 人間は社会的な存在である。
- 人間は人間を求める。
- 人間は共同社会の外でひとりで生きていくことはできない。
- あらゆる者が人の手助けをするという課題を持ち、人に結びついていると理解しなければならない。その理解に基づく結束感こそが共同体感覚である。
- 人を策謀的な者ではなく、友好的な隣人と捉えようとする態度は、「猜疑心」ではなく、他者への「信頼」の意識によって整えられる。
- そうした態度によって、健全な人間関係が形成されていく。
人間の劣等感と優越感の作用
アドラー心理学では、共同体感覚に連動して、人間の劣等感と優越感の作用が考慮されている。
劣等感にせよ優越感にせよ、共通した問題は共同体感覚の欠如である。
劣等感について
アドラーは、劣等感そのものを否定的に捉えているわけではない。
共同体感覚を欠いた劣等感については、「劣等コンプレックス」という名称が与えられており、かなり否定的に捉えている。
劣等コンプレックス:
- 過剰な劣等感であり、人間関係へのためらいの態度の原因となる心の状態。
- 劣等コンプレックスが顕著になると、敵国で生活している感覚を抱くようになる。
- そして、いつも他人の利益よりも自分自身の利益を思案し、適切な共同体感覚を持たなくなってしまう。
人が劣等感を歪ませてしまうと、それと同時に他者への不信感も強めてしまい、人間関係を構築する努力を放棄するようになってしまう。
ここでの問題は、自閉的な態度の強化をめぐる負の連鎖である。
- 他者への不信感が強いからこそ閉じこもりがちな態度になりやすい人は、この「閉じこもろう」という態度を正当化するために、他者への不信感や恐怖心をますます強めてしまう。
- この正当化は、他者と関係を持たなければならないという常識を強く意識すればするほど、自身が自閉的だという感覚を強化する。
優越感について
アドラーは、優越感についても、それ自体を否定しているわけではない。
優越感の追求は、目標達成のための努力に不可欠なエネルギーである。
一方で、劣等コンプレックスがこじれて共同体感覚が弱い状態で抱かれる優越感は問題である。
アドラー心理学では、これを「優越コンプレックス」と表現している。
優越コンプレックス:
優越コンプレックスとは、優越感の追求、言い換えれば、執着が強すぎるために不完全な自分を自己受容できない状態のことを言う。
この状態の人は、実際にはそうではないのに、自身が優れていると決めつける。
劣等コンプレックスを抱く人が、困難から逃れる方法のひとつが優越コンプレックスである。
この心の傾向は犯罪行為に結びつきやすいと言われる。
- 人を騙すことで、偽りの誘導をする際に抱かれる「他者の支配」という快感。
- 窃盗による、他者を出し抜いた際の快感。
- 他者が躊躇するような行動を、躊躇せずに実行できる自身への錯覚的な特別視による快感。
これらの快感は、他者よりも優れていたいという欲求を満たした結果でありながらも、その実情は人生の現実的課題からの逃避的選択の帰結である。
人間の成長・発達を促す力
アドラー心理学では、人間の成長・発達を促す力を2つ挙げている。
「優越性の追求」と「共同体感覚」である。
優越性の追求
優越性の追求とは、優れたものであろうとする欲求と言い換えられるだろう。
- 人間として価値のある存在にありたい。
- より有能でありたい。
生物的な存在としても、社会的な存在としても、優れたものでありたいという欲求は、人間が成長・発達していく上で最も重要な働きをする。
成長したいというエネルギーの源泉のひとつは劣等感だと言われる。
できるようになりたいと思うのは、自分はまだ十分ではないという意識、つまり劣等感の裏返しである。
もし、自分は劣っていると感じていなければ、自分の現在の状態を変えようと強く思うことはない。
このように、劣等感と優越性の追求は、同じ心理現象の2つの面である。
アドラー心理学では、人間が劣等感を持つことはごく当たり前のことと捉えている。そこにネガティブな意味は含まれていない。
優越性の追求と共同体感覚の関係
優越性の追求から生じる「誰にも負けたくない」「一番でなくてはならない」といった競争意識は、それが強すぎると「勝つためには手段を選ばない」という、勝ち負けへの強い執着となる。
競争心は否定されるべきものではないが、強い執着を伴った優越性の追求は不健全なものである。
劣等コンプレックスとは、言い換えれば、劣等感が強すぎて無能感や無力感に圧倒されている状態である。
そして、優越コンプレックスとは、執着が強すぎるために不完全な自分を自己受容できない状態である。
アドラー心理学によれば、優越コンプレックスを克服するには、自己中心的にではなく、他者を含めた共同体として優越性を追求すればよい。
つまり、共同体感覚を高めることで克服できるのである。
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共同体感覚の育成 1 ~優越性の追求と共同体感覚の関係~
共同体感覚の育成 2 ~共同体感覚を持てるようになるための重要な要素~
共同体感覚の育成 3 ~褒める・叱るという行為と、勇気づけという行為の違い~
共同体感覚の育成 4 ~所属欲求と承認欲求~